夏休み、特に帰省時時期はなるべく出かけないようしていますが
他に休みをとれず、えーい!と大阪から渋滞の中に飛び込み、出雲・松江へ。実は念願の出雲行きでした。
出雲は昔から異文化を感じる土地で行ってみたかったところ。
民俗学的なことや日本神話の研究・解釈については、
詳しく述べる知識はないが、やっぱり出雲大社のしめ縄って圧巻じゃないですか。
素人目にも、伊勢神宮や大和系とは違う文化の文脈を感じます。
私は詳細を説明できませんが、もし関心があれば「出雲国造」などを
ネットで調べてみてください。おもしろいですよ!
須佐神社へ

いきなりですが、須佐神社です。
日本神話のスター的存在、スサノウノ命をお祭りしている神社。出雲市内からかなり山間部に入った場所にひっそりと佇んでいます。ここは今回、どうしても来たかったところなんです。
境内に入ると静謐は気が満ちています。
ただなんですかね、ペット好きの方には申し訳ないのですがワンちゃんを抱いたり、リードを付けて境内をうろうろされている方を複数見かけました。もちろん、飼い主様にとってはかけがえのないペットだとは思うのですが神社の境内というのも、真摯な信仰の場であるので、やはり常識としては??と感じます。

愚痴ってしまいましたが
境内のご神木です。

御神殿から鳥井方向をみたアングルです。
陰影のコントラストのせいか、
神秘的な感じですね。
須佐神社奥の風穴

須佐神社から少し奥に向かうと
風穴があります。
地中深く空気道があって
その出入り口はまるでクーラーの噴出し口のように冷気が出ています。
昔は天然の室として冷蔵庫代わりに、様々なものの貯蔵庫にしようしていたらしいのですが、今は観光客相手の体験施設みたいになっています。もったいないなぁ。

で、入り口付近には
観光客目当てのお休みどころがあるのpですが
目を引いたのは「やぎアイス」。
どうも、「やぎの乳で作りました」と言われると、癖が強そうで躊躇してしまいました。
試せばよかった!と後悔しきりです。

風穴の上り口にはきれいな湧き水が
ありました。
由緒あるものらしいです。

湧き水の前には車数台が駐車できる
広場があるのですが、なぜかずらっと
かかし様ご一行が・・・。
何かいわれのあるものか、しゃれなのか、
良くわかりませんでした。
出雲大社へ

出雲大社です。
お盆ということもあって?、とにかく人が多かったです。
後ろに見えるのは大注連縄、やはり圧巻ですね。ただ、なんでしょうか?この注連縄に向って多くの方が小銭を投げつけてるんです。で、拝所が前にあるもんだから、後ろから的を外れた小銭がばんばん飛んでくるんですよ。これはどうなんでしょうか?
こんなこともあって、伊勢神宮や先ほどの須佐神社などのように静謐で真摯な空気ではありませんでした。ただ、なんというか、それも許されるおおらかで大きな包容力がある神社に感じました。

今は調度、御神殿の屋根の葺き替え(だっとと思う)で、すっぽり工事用シールドに覆われた状態。
写真は拝殿を入り込んで、工事中の神殿横にあたる場所ですが、さすがにここまでくると静かで大注連縄の周りとはまったく違う雰囲気でした。できるだけ、永らくとどまっておきたい、そんな風に感じる所でした。
譲るも譲ったり、受けるも受けたり、国譲り
出雲大社境内を歩いていて色んな考えに及びました。
歴史や神話解釈については、ほとんど門外漢で語れることはないのですが
だれでも知っている国譲り神話というのは、これはすごい話なのだな、と感じました。
なんせ、譲るものが国ですから、お金や家とはスケールがまるで違います。
数度に渡る働きかけや挑発、脅しを受けて、果たして大国主命はなにを考えたのだろうか?
徹底抗戦という道もあったろうし、緒戦を優位に収めて条件闘争という道もあったろうと思います。
それを国譲りという最大限の譲歩を決断されたご心中というのはいかばかりか。
「国を譲れ」という要求の前に、国とは何か?を大国主命は深く深く
自問自答したのではないか、などと一人妄想を。
国とは? 土地なのか? 土地があってもそこに人が住み、人の生業がないと
それは国とはいえないのではないか?つまるところ、国とは人ではないか?
それでは、国を守るために、その国の本質たる人を戦闘に駆り立て、傷つけ、命を奪うというのは
本末転倒ではないか。人の繁栄こそ、国の繁栄であるならば、ここは戦うべきではない。
出雲の民の安全と地位・名誉が保障されるのであれば、「国譲り」を受け入れ、
大和の民と出雲の民が和合し、縁を結び、繁栄させる事こそ、選択しうる道ではないか。
まぁ、こんなことを妄想して、なんとその御心の深く大きなことか、
そして「国譲り」が如何に大きく意義深い大英断であったことかと
感銘した。自分の妄想に感銘するなど、おめでたい限りかもしれないが
出雲大社のHPによると
皇后陛下の「出雲大社に詣でて」と御題なされた
「国譲り 祀られましし 大神の 奇しき御業を 偲びて止まず」
との御歌を残されていらっしゃいます。
私の妄想はともかく、大国主命の国譲りは、皇統の中でも高く評価されていることなのだと感じます。
また、この御歌や神話、祭祀に現れているとおり、国を譲られる側の動きにも注目。
普通は卑しめたり、存在を否定したりするのが常ですが、大国主命という尊称を贈り
偉大な事業として記録するなど天晴れなものだと思います。
もちろん、大国主命の実力や威厳というものが大きかったからだと思いますが、
大国主命の方も、認めるところがあり、安心して譲れると見込んだからの国譲りの決断で
あったでしょうから、やはり双方、互いが認める大きな存在であったのだろうと感じます。
大国主命のストーリーは、例のいなばの白兎はじめ、ごくごく有名なものしか知りませんが
とってもとってもドラマチックなんですよね。これで大河ドラマやってくれないかな、と思うがどうでしょうか?
(出雲の街へに続く)PR
- 2009/09/02(水) 00:32:28|
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